父親がアンジェラアキと戦い続けていた
僕が中学3年の時のことである。午前11時頃に目が覚めてリビングへ向かうと、そこには
嗚咽混じりに大粒の涙を流す父親の姿があった。
は?何故このオッサンは泣いているんだ?
今にも異物を飲み込んだカエルの如く胃を戻しそうになっている父親に優しく「どうしたの?」と問いかけると、無理矢理絞り出した弱々しい声で一言
「アンジェラアキ」
とだけ返ってきた。
マジで大丈夫なのか、このオッサンは
アンジェラアキが一体この齢50近い馬面のオッサンに何をしたというのか
「曲がとても良かった」
更に振り絞るように小学生の書いた読書感想文のような言葉を放ち、おもむろにテレビを指を差す父親。そこには合唱コンクールの終盤の映像があった。
各学校の合唱部たちをステージに呼び、ピアノで曲を奏でながら全員で合唱をするという感動の映像である。
「お前も聴いてみろ」
どうやら録画したものを何度も聴いていたのだろう。リモコンを手に取り「大体この辺からだ」と言いながら見事その想定の位置で再生ボタンを押す父親の姿を見て、「スゴい」よりも「キモい」が勝ったのはここだけの話だ。
ピアノの伴奏が流れ始める。手紙〜拝啓 十五の君へ〜 である。
良い曲であるのは間違いない
穏やかで清らかで安らぎすら覚える歌声に、包み込むようなメロディ、そして何より歌詞が良い。合唱コンクールの課題曲に選ばれる理由も理解できる。
そうして聴き終わった頃、髭の青い猫背のオッサンは大号泣していた。
苦しそうに、それでいて幸せそうに涙を流していた。
死ぬんか?コイツは
「お前は今15歳だし、未来のことは分からないだろう。父さんにも15歳の時があってその頃はまだ自分がどうなっているかなんて何も分からなかった。本当に大切なことっていうのは人生においt」
遺言か?
ホゲホゲとありがたい言葉を話しながら、またリモコンを手に取り「良さが分かるまで聴きなさい」と言い放ち再生ボタンを押す父親の姿は、やはりややキモかった。
拝啓、この手紙読んでいオオウウッグウウ〜〜〜〜〜〜オエッ!!!!!!ズズーーーッ!!!!!!
大号泣というよりは、絶叫に近いものを感じた。何ならヨダレを垂らしそうにもなっている。アンジェラアキに父親が壊されていくのをただ見ていることしかできない息子を許してほしい。本当に申し訳ない。
自分の父親が
絶対的存在であったはずの父親が
その聖なる歌声によって死にかけている。
死神なのか?コイツは
「まだだ」と放ちリモコンを手に取る父親は、もう何かそういうAIのようだった。
ボロボロになった細長いオッサンは今、
アンジェラアキと戦っている。
頑張れ 負けるな 大丈夫だ やれる
ウエエッ!!ヴヴッ!!!!ァッアア〜!!!!!!ズズッズーーーーーズッ!
前奏で敗北していた。
パブロフの犬か?コイツは
ピアノの音を聴いただけで涙を流してしまうようプログラムされた青白いオッサンは、アンジェラアキに敗北したのだ。
父親の弱い部分を初めて目の当たりにした瞬間である。
そうして時が経ち2021年。
この記事を書きながらふとアンジェラアキの曲を再生してみたところ、同じように逆流性食道炎になるんじゃないかと思うほど声を上げて咽び泣く男がそこにいた。
親父の仇は、俺が取る。