素麺すら、上手く茹でられない
最近、ヒカルの碁にハマっている。囲碁に詳しくなくても楽しく見れる、素晴らしい作品だ。
仕事を終えて帰宅しご飯を食べながら、ヒカルの碁。
コーヒーを飲みながら、ヒカルの碁。
ちょっと煙草でも吸おうか?ヒカルの碁。
ウンコを我慢して、ヒカルの碁。
寝る間も惜しんで、ヒカルの碁。
便秘薬を飲んで、ヒカルの碁。
多分世界が崩壊してもヒカルの碁を見ている気がする。今この瞬間も黒い碁石をMacBookに叩きつけたくて仕方が無い。俺の目の前にある四角いものは全て碁盤だ。
どんな場面でもコスミに何か黒くて丸いものを打ち付けたくなる、この際黒ゴマとかでも良い。むしろ黒ゴマしか手元に無い。黒ゴマを打ち付けたい。どこでもいい、床でいい。
そんなことをしている間に3時間ばかり過ぎていた。確実に腹が減ってきている。しかし、今、俺の目の前にあるのは床に散らかした黒ゴマだけだ。
買い物に行くとヒカルの碁を見る時間が減ってしまうので、家にあるもので済ませたい。そうだ、素麺がある。俺は天高く拳を突き上げた。そして黒ゴマを床に打ち付ける。ここが天元。
たった2分で茹で上がるとは言いながらも、1分1秒が惜しい。この時点で既に素麺はどうでも良くなっている。早くヒカルの碁が見たい。今が一番良い感じにヒカルが成長してきていてとても面白いところなのだ。
この気持ちはシャーマンキング以来だ。元来何かに影響されやすい性格なので、シャーマンキングを見ていた時は自分の葬式でオープニングを流してほしいと思っていたし、それと共に相変わらず相当な量の素麺を茹でた。サムライチャンプルーの時も同じく、ヒップホップにのめり込みながら素麺をひたすら茹でていた。
思い返すと多分この世の素麺のほとんどを俺が消費してきたと言っても過言ではない。いや過言かもしれない。どっちでもいい。とにかく素麺だけは狂ったように茹でてきた。
あの頃の俺は素麺を茹でる仕事をしていたのだ。
気付けばキッチンでヒカルの碁を見ていた。大事な一局が終わると同時に、ハッとした。素麺だ、素麺が鍋で踊っている。アツアツのお湯の中でダンシング細ナガ麺が相当量の水分を吸収して、ブヨブヨになっている。何度も見た光景だ。
見なかったことにした。
いつもこうして鍋の中で踊っている素麺に、踊らされている。